花子太郎の頭の中

人生を楽しくするために、考えたことの記録

日本が今後向かうべき方向性とこれに必要な教育内容って何よ

中国盛り上がってますよね

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将来、ポニー・マーみたいな人の、右腕として働きたいな。こうゆう頭脳派の人の経営を見てみたい。人情派もいいけど、あんまり憧れないよね。なんかかっこよくないし。

それでゆくゆくは独立したい。

 

あと、彼らのアジア進出がどのくらい進んでいるのかわからないけれど、

日本が自動車で世界を圧巻したように、次なる成長市場でも、そうなってほしい。

イケイケのITで必ずしも張り合わなくても、いいのかもしれない。

IoTじゃないけど、製造×AIなら、中国に比べればまだ勝ち目はあるんじゃないか。

たぶん、ロボットとかでは軍事費大量につっこんでるアメリカとかに勝つのは難しいかもしれないけど、アメリカなんて、たぶんまだアジア市場にはそんな興味ないよね。

中国じゃないけど、もっと市場の立地を生かして、日本の技術を活かせる分野はないのかね

 

日本てなんで過去は成功したんだっけ

今までの長い間、日本の競争優位性を支えていたのは、安価で優秀な労働者であったと私は思う

日本て、たぶん、高卒で工場で働いているいわゆるブルーカラー的な人の知的レベルがめちゃくちゃ高くて、だからこそカイゼンじゃないけど、安価にいいものを作ってこれて、それで世界市場を圧巻したんでしょ

 

だけど、時代は変わってきて、いわれたことを粛々とやるよりも、時代はクリエイティビティなのに、日本の教育はそれに対応できてなくて、これが一因で日本の経済は停滞しちゃってるみたいな話しもある

確かにこれは一理あるんだけど、私はもう一つ要因があると思う

 

時代が変化しようが、やっぱり良いものを安価に提供するニーズは残るんだけど、そういうのは労働力が安い中国とか韓国とかがやるフェーズだから、日本そんなんやっても勝てないし、だから戦うフィールドを変えるためにも教育含めて強みとする能力変えていかないといけないよって話しなんだけど

私は、ここの議論の中ですごく焦燥感があるのは

①言われたことを粛々とやる古き良き日本で重要なスキル
(=今の日本の教育システムで強い)

②混沌の中から新しいモノを生み出し、イノベーションを巻き起こすクリエイティビティ(=たぶんアメリカとかが比較的強い?)

の両方の能力において、トップ層において中国に圧倒的に負けているだけでなく、同じレベルの人間を採用しようと思ったら、たぶん中国の方が安い

 

前、日本企業の香港支店で働いていたことがあって、その時に給与水準と能力を天秤にかけながら採用する機会があったんだけど、その時に、月30万で取れる人の能力の高さに驚いた

日本語・カントン語・英語を話せることは大前提として、限られた情報の中でどんどん新しい仕事を生み出す能力が本当にすごかった(Jさん)会計の知識も圧倒的で仕事もすごく早かったし(名前…思い出せない)

個々人で能力をつけてガーっと一気に仕事して、早く帰って余暇を楽しんだり、また自己鍛錬に時間をつかっていく感じのサイクルが、わたしはすごく好きだった

 

日本て、個人と個人のつながりとか、気に入られるか・気に入られないかみないな要素が仕事に与える影響が大きすぎて、なんというか自己鍛錬の甲斐がない

業界によるのかもしれないが

 

私は日本がこんな国になってほしい

いろいろと徒然に書いたが、結論は、日本がヤバい理由は、労働者のレベルが低いから

あらゆる指標において

もっともっと危機感をもってここを盛り上げていかなければならない

これって、必ずしも競争心を駆り立てて能力を上げていく必要はなくて、

だから韓国みたいにセンター試験の周辺は自殺者続出みたいな空気になる必要は全くなくて、

ただ、純粋に、世界をよくしたいとか、世の中をよくしたいとか、人の役に立ちたいと思った時に、求められる知的能力が結構高いから、これを達成するために純粋な気持ちで努力をすればいい話なのだ

 

金持ちは悪ではない

世の中に、みんなが幸せになる価値を提供したら、その分お金として帰ってきて、結果として金持ちになるだけ

 

そんな生き方を成功モデルと捉えてもいいんじゃないの

もっとみんな、世の中のために努力をすることが自然な流れとして受け入れれば、いいんじゃないの

経営とは宗教である。その上で自分は何をしたいのか

経営の真髄とは何か

経営とは宗教である

会社員とは宗教である

そして、この宗教要素を骨の髄まで染み渡らせることができる会社は成功するのであって、これは経営において限りなく重要な要素だ

 

経営コンサルとは下請けである

突然だが、わたしは経営コンサルとして今働いている

経営コンサルと言えど、 その仕事の実態は、当然であるが下請け業務だ

給料が高く、会社の戦略の意思決定に関わる、重要な重要な下請け業務である

そして、その下請け業務の中身はパワーポイント作成だ

会社がある意思決定をするにあたり、それが正しいことの説得力を限りなく高めるために、それがいかに素晴らしいことかを語るために材料を集め、サポートをしてあげるのだ

 

コンサルが下請けである第1の理由は、お客様に頭が上がらないからだ

これは至極当然のことであるが、とくかくお金をもらうお客様にはプライドも正論もへったくれもなく、ぺこぺこするのが大半なのがコンサルの実態だ 

ただし、顧問形態の関わり方をするコンサルは例外となる

 

第2の理由は、情報の非対称性の解消だ。MBAのような経営理論が真新しかった時代は、経営理論を「知っているかどうか」が付加価値の源泉であり、よってコンサルはその理論やフレームワークを示せさえすればよかった。

対して、ポストコンサルが多くの大企業に流出し、MBAホルダーが増え、経営理論の情報へのアクセスがネットや書籍を通じて異常に簡単である昨今、もはやクライアントとコンサルの情報格差はほぼ存在しない。

結果として、そしてコンサルへの依頼方法も、「このままではうちの事業はまずいんだけど、何をどうすればいいですか」というより大上段の問題意識を元に解決したいとう姿勢から、「既存ビジネスでの新興国進出を検討していて、うちのビジネスとの親和性から賃金の安さと政治拠点とのアクセスが重要なクライテリアなのだけど、どの国・都市がより有望か調べてくれないか」といったより「下流」の仕事へのシフトしてきている。

 

第3の理由は、市場全体として発注主のポジションが下がっているからだ。昔は社長案件・役員案件で会社経営の方向性を模索していたのに対して、今は部長・課長レベルから発注を受け、よりスケールの小さい規模の意思決定を支えるためのパワーポイントを日々拵えている
(これは社長案件自体が減っているというよりは、市場が拡大しており、それは下のポジションからの発注によるものだ、という表現の方が正確かもしれない)

中には、クライアントの意思決定を日々整理し紙に落とすだけのような仕事もある

 

アウトソーシング化」は、特集の中では「高級人材派遣化」「高級文房具」と言われていたものです。もともと戦略コンサルはいわば「経営企画機能のアウトソース」とも言えますが、ここでのアウトソースは、より現場に近いミドルを相手にした「実務遂行の代行」です。

 

そんな訳で、世間が想像するような社長の参謀としてかっこよく振舞っているコンサルタントは、ものすごく少なく、大半が下請け業務だ

平均勤務年数が3年言われるコンサル業界が、その勤務年数を伸ばすことなく拡大し続けているということは、つまりぺーぺーでも地頭さえ良ければワークする仕事をしている訳であって、そこから考えてもまあ当然のことでもある

 

プライドという宗教が経営コンサルの市場優位性を生み出す

であるにも関わらず、コンサルタントはクライアントに比べて高給でありなおかつ市場では比較的かっこいい仕事として捉えられている

なぜか

人は夢を見たくて、自分の都合のいい事実だけを飲み込み、あやまった示唆を導き出す生き物だからだ

もっというと

プライドを持つことが人のモチベーションに大きな影響を与えるのであり、このモチベーションが高いパフォーマンスを生み、一部に鶏卵の議論は含まれつつも、結果として高給になっているとも言える

仕事へのやり甲斐、プライドといった心理的要素が生産性向上に大きく寄与していることはもう100年も前にホーソン研究により明らかにされたことであるが、この事実が経営コンサルを支えているのだ

 

 

宗教が従業員を幸せにし、業績を上げ、地球をハッピーにする

「自分はすごいという思い込み=宗教」と定義し、それこそがコンサル業界のKSFだと言っているわけであるが、これは決して悪いことではない

むしろいいことだ

コンサルタントは、「自分はすごいことをやっている」と思い込み、高い自尊心と高い満足度とともに、一生懸命働き、ビジネスマン・ビジネスウーマンとしての能力を着実に上げていく

クライアントは、そこそこ優秀な人たちが、とにかく一生懸命働いてくれるからアウトプットに満足する

コンサル会社の経営者は、従業員に「本当にうちの会社は君たちに支えられているよ、ありがとう」と伝えるだけで、そこまで高い給料を払わずとも満足して必死に働いてもらえるので、結果として会社が儲かる

 

 

 

 

 

そうか、すべては宗教だったのか 

 

 

このブログでかいていきたいこと

自分の頭の中を可視化したい

人間て、とても不可解な生き物だと思う。

自分も然り、友人も上司も部下も然り。

 

それぞれが「あるべき自分の姿」「人生で達成すべきゴール」をなんとなく持っているが、それは人によって全然違う。

同じ人だとしても、タイミング(大学時代or社会人1,2年目or社会人20年目etc.)や聞かれたシーン(友達に聞かれたor親に聞かれたor自問自答をしたor就活で自己研究をしてみたetc.)によって全く違うことを答えるし、実際に本人も違う答えを頭の中に思い浮かべる。

そもそも、人によって大きく違うのに、同じ人であっても環境やタイミングによってまるっきり考え方が変わってしまうなんて、なんて危なっかしい生き物なのだろうと思う。

 

そして、自分も然り

私も日々、細胞レベルで変化している。況や思想(なんのために生きるのか、世界はどうあるべきか)をや。

何と言っても、日々一生懸命考え、そして自分に満足のいく解を導いたとしても、すぐに忘れてしまう。

 

私は、自分自身が世界で一番の先生だと思っている。

世の中は便利になり、細かい知識こそ重要度は下がったが、依然「頭の中への”思想”(自分なりの考え)の蓄積」は、生きる糧として最重要だ。

何をインプットしたって、自分なりの考え方がなければ、アウトプットに昇華できない。

そして、自分の信念に従い、意思決定をする、発言をする、行動をするというアウトプットを行い、初めて人間は幸せをかみしめることができるように思う。

欲求段階説 (マズロー) - Wikipedia

 

つまり、人間が幸せになるためには思想が必要であり、

思想を突き詰めていくためには、思考の積み重ねが必要であり、

思考を積み重ねるためには、記録が必要なのだ

 

世の中にはたくさんの情報が溢れていてそれらに翻弄されては豊かな人生は歩めない。

「あるべき人生」にもはや王道はなく、人によるとしか言えない。

だからこそ、一人一人が、自分の思想を持つべきだと思うし、自分もその一端になりたい。